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総合診療とジョーカー・ゲーム

はじめに

 今年度(2024年度)のプライマリ・ケア連合学会の総会への参加を前に、総合診療に関するもやもやを整理してみた。

イワシの頭

 常日頃、安易な「総合」にとらわれないようにしたいと感じている。「プライマリ・ケア」とかもそう。まずは自分の頭でしっかりとその意味を考えておきたい。自分の頭で考えたら、厳密には誰とも同じになるはずはない。そうだとすれば、共通の理念で仲間を作るということはそう簡単なことではないはずだ。学会というのは共通の理念を持った者が集まる場所という意味もあるかもしれないが、異なるものが刺激し合う場所という考え方もあるだろう。いずれにしても、学会の運営というのもそれなりの苦労があるのだと思うし、献身的にかかわる人たちに敬意を表したい。

(質的研究の作業のように、上位の概念で同じ分類にできるのかもしれないが、簡単にまとめると、オリジナルのテキストに含まれた、大切な情報が失われていることを忘れてはいけない。)

 全く関係のなさそうな世界の視点で総合診療の世界を考えてみたい。文献1を読んだ後なので、中二病的な表現になってしまうのだが、軍人的思考よりスパイ的思考に憧れてしまう。私が尊敬できる人物は大体、スパイ的思考だったりする。スパイがほとんどルールに縛られないことに対して、軍人は命令遵守が目的遂行のために重要な意義をもつ職業である。軍人という職業は自分の頭で勝手に憶測しない訓練が重要なのだと思う。そのためには「国のため」とか「平和のため」とか「家族や子供の未来のため」とか、抽象度を上げた思想を一旦潔く受け入れることを求められると思う。もちろん、これができるからこそ職業として有効に機能するわけで、これは思ったほど簡単なことではない。軍人とは違うけれど、命令遵守という意味で、原発事故で活躍したハイパーレスキュー隊や震災で活躍した自衛隊員には頭が下がる。(横柄な政治家や、拝金主義の企業、出世重視の役人の指示に従うべきか、現場レベルでもっといい方法はないかなどと、真剣に考えてしまうような隊員なら、こういう職業には向かないはずだ。)

 本来の総合医は、いったん自分の専門性や立場を棚上げして、その場で自分の頭を使って考える医師のはずだ。いい意味でいい加減ともいえるが、「とりあえず」とか「自分がやるしかない」とかいう発想は「いい加減」でないとできない。この点が軍人とは決定的に違う点であり、もし、自分の専門性や立場を棚上げして個性を出してしまうような軍人であったなら後ろから撃たれる覚悟も必要だ。いい加減に自分の頭で考えたことの責任は自分で負う必要がある。誰かの命令のせいにできないし、組織の方針のせいにもできない。

 総合医は、誰かを助けることで何かを犠牲にしていることを知っている。不完全なこと認めるからこそ「これでいいのだ」と本気でつぶやいて納得したい人種なのだと思う。スパイも医師も、放り込まれたその場所で、最善と思われる行動を選択するしかない。自分にとっての最善はともかく、相手にとっての最善を考えることは原理的には不可能だろう。例えば、患者や家族の立場で考えるというのは、観察したことを手掛かりに、その立場を自分の頭で想像して考えているに過ぎない。十分に観察することで患者風の結論を導くくらいが関の山だ。だからこそ、自分がどういう思想を持った人間なのかを知ることに意味がある。相手のことを考えることでさえ、自分との問答みたいな、孤独な部分と切り離せない。

 たった一人の他人のこともよくわからない自分にとって、「誰一人取り残さない」は、どちらかといえば神とか仏の言葉のように感じてしまう。文献1を参考にすると例が適切でないかもしれないが、現人神(あらひとがみ)を崇拝する軍人的思想を起源とするような気がして、自分にはあまり馴染まないのだ。外から、まずこれを一旦信じること求められている気がしてしまうのだが、私自身は取り残された人などいないと信じることは到底できないし、信じることも強要されたくない。でも、いろいろな人がいていい。それでも信じたいという気持ちは持ってもいい。信じるために努力が必要なこともわかる。信じることに価値がないことだとは思わない。そういう医師だって必要だ。ただ、皆で「取り残さない行進曲」を歌うのはいやだな、みたいな気分になる。お前に能力がないだけだろといわれると、認めざるを得ない。誰一人取り残さない気がないなら帰れと言われたらどうしよう。あまり、考えすぎない方がいいといわれると、まあ、それもそうかなとも思う。

「何かにとらわれて生きることは容易だ。だが、それは自分の目で世界を見る責任を放棄することだ。自分自身であることを放棄することだ」1)

「貴様が何を信じていようがかまわん。キリストだろうがマホメットだろうがイワシの頭だろうが、勝手に信じるがいい。もし本当の自分の頭で考え抜いたすえに、それを信じているのならな」1)

参考文献

  1. 柳 広司. ジョーカー・ゲーム. 角川グループパブリッシング. 東京. 2008.

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